名実ともに富山県で第一の学校に。創立者のその想いは、
剛健の精神として生徒と教師の中に受け継がれています。
本校は昭和34年(1959年)に初代理事長・河合陽徳先生によって創立され、66年の年月が経ちました。卒業生は3万5千人に迫り、県内外のさまざまな分野で活躍しています。この66年の歴史の土台となっているのは、本校の校訓である「剛健」と「練体磨心」です。この2つの校訓のもと、心身ともに健康で強く、「知・徳・体」の調和のとれた人間の育成を目指しています。
校名には、創設者の「文武両道で名実ともに富山県第一の高等学校に」という思いが込められており、その思いは創立当初から引き継がれ、今もなお、その目標に向かって努力を続けています。
生徒たちの進路目標や、その先にある夢の実現のために、本校では校訓・教育基本方針に基づき、スクールポリシーを策定しました。
グラデュエーション・ポリシーに示す人を育てるために、カリキュラム・ポリシーに沿った学びを行います。そして、アドミッション・ポリシーに示されるような生徒の皆さんに本校を選んでもらえるよう、教育活動を進めていきます。
今年度は430名の新入生を迎え、35クラス・1,230名の生徒で新たなスタートを切りました。この生徒数は、富山県内で最大です。「総合」「美術」「特別進学」「S特別進学」の4つのコースを設けており、生徒たちはそれぞれの進路に向けてコースを選択し、学習に取り組んでいます。また、22の運動部と13の文化部があり、多くの生徒が部活動にも励んでいます。
これらの教育活動を通して、生徒一人ひとりが進路を決定するだけでなく、その先のステージでも活躍できるよう努めています。今後も、保護者の皆さま、地域の皆さま、同窓生をはじめとする多くの方々のご理解とご協力を得ながら、よりよい学校づくりに取り組んでまいります。
本校ではこのような人を育てます
本校ではこのような学びを行います
本校はこのような生徒を求めています
校訓の「剛健」と「練体磨心」の2つが、本校生の精神の柱です。
講堂に掲げられている校訓の書は、松村健三先生によるものです。
※松村謙三先生は、郷土富山の先覚者で清節の政治家として知られ、文部大臣としても活躍されました。
3方向に向かうペン先はそれぞれ「知徳体」の三育と「智仁勇」の生徒像をあらわしています。「高」の文字は高きを望む青年の練体磨心の姿をあらわしています。
1958年12月のある日、富山市議会議長が金沢高校の理事長であった河合陽徳先生のもとを訪れ、富山への私立学校設立を依頼しました。当時は生徒が急増し、学校が不足していた時代です。富山県と富山市の要請を受け、一人でも多くの子どもたちに学びの場を、との想いで創立者は創校を決意。富山を訪れ校地の選定に奔走し、2か月足らずで開校にこぎつけました。入学式は1959年5月17日に挙行。この日は今も創校記念日として本校で大切にされています。地域の願いと創立者の想いが重なり、本校が誕生しました。
田んぼの中にぽつんと立つ校舎と、石だらけのグラウンド。それが創立当初の本校でした。「常願寺川の川原のごとく大小の石がごろごろして」いたグラウンドで、「晴天の時は広田先生の指揮のもとに、もっぱらモッコやスコップを使っての整備」をおこなっていたと、当時の卒業生は振り返ります(1回卒生)。
不足を嘆くのではなく、今ある環境でどう学び、どう良くしていくか。その発想が育まれたのは、このような、ないないづくしでのスタートだったから。生徒と教師がともに汗をかき、学びの場を自らつくりあげる精神は、今も受け継がれています。
地域の願いから生まれた学校として、「地域と日本の未来をつくる人を育てる」という想いは創立当初から変わりません。「国と郷土を愛し、道徳を身につけた人材を育てる」との教育理念のもと、本校の教職員は生徒一人ひとりと真摯に向き合ってきました。「教職員の燃えるような志気と使命感」が本校の今日をもたらしたと、創立20年の節目に創立者は振り返っています。 生徒に対する教職員の熱意と愛情は今も変わらず、本校の教育の原動力の一つです。
当時の練習場は、野球部と共用の土のグラウンド。決して恵まれた環境ではありませんでした。しかし、インターハイで初めて芝のグラウンドに立ったサッカー部は、相手に果敢に挑むひたむきなプレーで注目を集めました。「心・身・技をさらに鍛えれば、全国優勝も夢ではない」と報じられたのは1965年のこと。
それから約半世紀、2014年、全国大会決勝。2点差を追う後半残り5分からの逆転劇で、悲願の優勝を成し遂げました。
1点目を決めた後、選手がボールを抱え次の得点を信じてセンターサークルへ駆け戻る姿。それは、どんな逆境にも負けず、挑戦し続ける「剛健の精神」を体現していました。
さまざまな分野で活躍する仲間、先輩の存在が、TOMIICHI生の自信と誇りとなっています。県内最多の生徒数の学校だからこそ、自分にはない輝きをもったたくさんの仲間に出会えます。
3万人を超える卒業生は、さまざまな業界で活躍しています。これからも富山と日本の未来を担う、たくましき若人を育てる、富山第一の学校であり続けることが、TOMIICHIに関わるすべての人の願いです。
学校法人金沢高等学校富山第一高等学校の設置認可がおりる
初代校長 河合陽徳 就任
富山市総曲輪小学校にて開校式および入学式挙行
富山商工会議所を仮校舎として授業を開始
木造校舎完成。新校舎に移転
第2代校長 長久繁松 就任
学校法人富山第一高等学校として独立学校法人となる
金泉寺寮完成
第3代校長 塚田長夫 就任
創立20周年記念式典挙行
総合グラウンド整備
弓道場完成
第4代校長 眞田正則 就任
セミナーハウス(9号館)完成
創立30周年記念式典挙行
第5代校長 青塚与市 就任
第6代校長 福田貞實 就任
第7代校長 野上正毅 就任
図書館・学習センター完成
学校ホームページ開設
創立40周年記念誌「40年の歩み」発行
第8代校長 宮崎昭雄 就任
校内LAN運用開始
第1回TOMIICHI中学生造形コンクール主催
新硬式テニスコート5面完成
スクールバス運行開始
吹奏楽部練習場完成
第2グラウンド人工芝敷設
第9代校長 本吉達也 就任
創立50周年記念式典挙行・創立50周年記念誌発行
第1グラウンド人工芝敷設
第10代校長 中川恒夫 就任
ICT対応教室整備
創立60周年記念行事開催
創立60周年記念誌「六十年の歩み」発行
校内LAN無線化
第11代校長 澤田孝之 就任